岡山市内には昔ながらの路面電車というものが走っていて、
私は毎日それに乗って通勤しています。
なんの変わりもない毎日の通勤風景なんですが、最近ちょっと気になるおばあちゃんが乗ってきます。
私がそのおばあちゃんと遭遇したのは今日で二回目ですが、
一回目と同じように、今回もすこし緊迫した空気が流れました。
というのが、そのおばあちゃんは足が悪いらしく、路面電車に乗り込む時に段差を上手く登れないのです。
そして今回は運悪く乗務員がそういう場面に慣れていない人らしく、
手を貸そうとせずオロオロするばかり。
なんとか上から手を引っ張るものの、ちゃんと支えてあげないので、
おばあちゃんは電車の床に横転してしまったんです。
床にごろんとなって起き上がれないおばあちゃん。
手を差し伸べない乗務員。
胸が締めつけられるような光景。
なにやっとんねん!!(怒)たまりかねて私が駆けつけ、支えて起こし、声をかけながら近くの椅子に誘導しました。
他のお客さんも私と同様の反応です。
乗務員が役立たずなのがわかったので皆心配そうにおばあちゃんを見守りました。
「皆さんご迷惑をおかけしてすいません。やっぱダメじゃったか・・・」
おばあちゃんのバツの悪そうなその言葉を聞いて私はなんだかすごい情けなくなりました。
何が情けないって、お年寄りにそんなふうに思わせてしまったこと。
「だめじゃないよ、電車に乗りたかったら、またいつでもチャレンジして!みんな手を貸すから!」
と言いたかったけど席が離れていたので心の中で精一杯エールを送りました。
おばあちゃんは降りるときも皆に向かって丁寧にお礼を言って降りていきました。
* * *
ちょっと切ないお話ですが、
私は私でこの一連の出来事を通して、ある発見をしていました。
以前の私だったら、こういう場面はとても苦手なので、きっと乗務員と同じようにオロオロするだけだったと思うんです。
いい大人なのに、人前で発言したり行動することがどこか気恥ずかしくて他人任せにしてしまうかんじ。
でも今回は、自然に体が動いていた。
最近ちょくちょくそういう発見があるなあと思っていたんですが、今回のことで決定的に確信しました。
私は変わったんだなあと(^_^)
どう変わったかというと、「社会」と「私」の間にあった、ヘンな壁がなくなったように感じます。
安心して繋がっていられる。
社会というのはすなわち人とも言えるんですが、人と繋がることに懐疑心がなくなったんですね。
以前は、人と接するときに、そりゃーいろいろゴチャゴチャ考えていたのが、今はそんなのはどうでもよくなりました(笑)
人にどう思われようと、少々のことはどうだっていい。
もっと大事なことが他にあるし、私は私に誇りを持てるようになったから、
社会と繋がることを恐れなくてもいいようになったんです。
そしてそう思えるようになったのは、動物たちのおかげなんだなあと気づきました。保護シェルターに通うようになって1年あまり、動物を通していろんなことを勉強させてもらいました。
社会問題として取り組み、いろんな場所で自分の思いを「出力する」ことや
いろんな世代や職業の人と頻繁に接するようになった事はもちろん私に良い影響を与えていますが、
何より動物と接すること自体が私にものすごい影響を与えていると思います。
動物は正直です。
嫌いな人には嫌いな態度をストレートにぶつけてくる。
逆に好きな人には、文字通り体当たりで「好き好き!」とぶつけてくる。
そういう動物の素直な感情表現に接していると、
なんていうかこっちまで、まっすぐな人間になっていく(^_^*)
そしてその良い影響を与えてくれるのは、何も純真無垢な子犬子猫や、
性格上何の問題もない普通の犬猫だけではないんですよね。
心を閉ざしているような大人の動物と接する事でも、人間の心は洗われていくんです。
* * *
シェルターの古株に「かおり」という名前の犬がいます。
この子は多頭飼育崩壊の現場からやってきた子で、
ろくに世話もしてもらえず糞尿が積もって固まった地面の上で生活し、
避妊もされないままオスと同じ檻に入れっぱなしにされ妊娠した子です。
シェルターに来てからも
極端に人間を恐れ、いつも同じ場所をぐるぐる回り続ける常同行動が現れていました。当初は産まれた仔犬の育児もあったので余計にピリピリしていて、
人間が近づくと歯をむいてうなり、噛む真似をするなど威嚇をしていました。
かおりが入っている室内のフェンス内は、いつも散り散りになった新聞紙と糞尿がドロドロぐちゃぐちゃに散らかっていて、
掃除をしようにも威嚇されるのでボランティアは手を焼いていました。

(当時のかおり。フェンス越しに「入って来るな!」と言っていた。)


(かおりの子供たち。みんな里親さんのところに行きました。)
もちろん触ることはおろか、首輪をつける事もできないまま数か月がすぎ、
子犬に里親さんが決まり手を離れてからは少し落ち着いて首輪とチェーンをつけることができたものの
やはり人間が近づくとその場を行ったり来たり、直線上を反復する常同行動は消えませんでした。
かおりにとって人間が近くにいることは、ストレス以外の何物でもないように思えました。
日々のお世話の時も、私はかおりに対してはあきらめのような感情を抱いていました。
前を通りかかる時など名前を呼んで話しかけるようにはしていましたが
噛まれるのは怖いし、特にスキンシップを試すような事もなく、ごはんを置いたらすぐにその場を離れていました。
かおりの表情が変わったのはいつ頃からだったでしょうか。
ある日、里親募集ポスター用の写真を撮って気がつきました。

目が優しくなったよね、かおり。
きっと他のボランティアさんも毎日毎日かおりに声をかけてくれて、
触れないながらもいろいろ努力し続けてくれたおかげなんでしょう。
何を思い立ったのか、今年に入って私は、かおりに触れてみようと思いました。近づくと逃げるので、チェーンを持って、少しずつ引き寄せていく。
手にはお散歩用のリードを持って、そろ~りと近づけて付け替えを試みましたが、1回目は失敗。
かおりはすごく抵抗するし、私もびびってそれ以上は近づけませんでした。
きっと時間がかかるだろうな・・・と思いつつ、次の週もう一回チャレンジ。
やっぱり少し抵抗はするものの、あれ?前よりすんなり・・・・・リードの付け替えに成功!?
さらに、そのままそーっと首の回りを触り、頭も撫でさせてくれるではありませんか(TT)
あまりにもあっさりと触れたので、私はビックリしてしまいました。かおりは唸ることもなく、優しい目をしていました。
今まで一度も触れたことのないかおりの体、遠くから見るだけだったかおりの毛を触ってみると
ふさふさと柔らかくて、涙が出そうになりました。
こんなにも優しいかおりの事を、私は今まで誤解していたんですよね。
噛まれる、怖い、と思いすぎて、触ろうともしなかった。
そんな自分が情けなくなって反省しました。
いっしょにいた他のボランティアさんが、
「犬と人間も相性っていうのがあるのよ、きっとかおりと相性がいいのね」
と言ってくれて、とても嬉しく思いました。
これからはもっとかおりとスキンシップしてあげよう。
そしていつの日か・・・新しい家族がかおりの事を見つけてくれますように。

* * *
1年前からかおりを見てきて、今年になってこんなに嬉しいことが起こって、
私はあらためて動物と接することの喜びを感じています。
人間に慣れず引きこもってしまう成犬は、コロコロと走り回る無邪気な子犬より、かわいくはないかもしれません。
でも問題を抱えているからこそ見えてくるものもあり、
普通では味わえない喜びや、生きるための深い示唆や、絆を感じることができるのです。
そういうのって、子犬から育てるのとはぜんぜん違う。
上手く言えませんが、そういう成犬たちは、目には見えないけれど宝物を持っているんだと思います。
シェルターにはかおりの他にも、心に傷を持っている成犬や成猫たちが暮らしていて、
元気な子犬ちゃんや、人なつこい猫たちも暮らしていて、
また、底抜けに明るいヒトや、優しすぎるヒトや、どこか不器用な大人のヒトたちなども集っていて、
そういう、いろんな事と接していると私の心は自然と鍛えられ、また洗われていったんですね。
それに、動物と接していて、弱い存在を守ることが当たり前になった。
ボランティアすることに慣れて、損得だけでは動かなくなった。
弱い存在とは何も動物だけではなく、社会的に弱い立場の人たちもです。
電車で段差を登れないお年寄りに遭遇した時や、障害を持った人や、事故現場に遭遇した時などでも
とにかく何でもいいから何かをすべきで、それが当たり前になった。
自然と体が動くようになったと思います。
普段意識することは少ないかもしれないけれど、
動物が私たち人間に与えてくれるものは、それはそれは大きいです。
私たちより社会的にずっと弱くて、ひどい扱いを受けている動物たちから、
たくさんの愛をもらっていることを忘れてはいけません。
テーマ:動物保護
ジャンル:福祉・ボランティア