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2015.08.06 14:42|思うこと
皆さんご無沙汰していますm(_ _)m

今私は、いろいろあって保護活動を休止しています。
休止・・・というか辞任するにあたり、強引に現場から離れたため、仲間には大変な迷惑をかけました。

ボランティアと言えど、責任ある立場にあった自分なのに

「ボランティアなんだから大丈夫だよ」
「無理しないでいいよ」
「また私たちのところに戻ってきてね」

そう言ってくれて、私の体のことまで気遣ってくれる仲間たち。
本当にごめんなさい。そしてありがとう。

自分がどこに立つべきかわからない中で、目の前の仕事に打ち込むと共に、
保護活動をしていた時の自分と、今の自分の違いに、まだまだ馴染めずにいます。

そんな中で、ある人との出会いが、私にこの行動を起こさせました。

自分で文章の中に書いている「ズレ」
そこにまた自分が戻りかけていないか?
ここ数か月、目をそらしていたけど薄々気づいていたズレ。


向き合うきっかけを作ってくれたその人は、
自分のアイデンティティに、まっすぐに向き合う姿勢
それが周りの人にどれだけ良い影響を与えているか
ということに気づいてもいないような、純粋な人です。

その関わりの中で、ふと
「消費」というものを真剣に考えていた当時の自分と、
温存していた文章を思い出したんです。


「命とは」 は、3年前に私自身が書いた記事です。
周りからの反発が怖くて、ずっと公表できませんでした。

ズレを解消していくのか、それとも
ズレをも受け入れて、どちらでもない新しい自分で行くのか

向き合うきっかけになると思い、今やっとアクションします。








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テーマ:動物保護
ジャンル:福祉・ボランティア

2015.08.06 14:37|思うこと
これは、3年前に私が書いた記事です。
周りからの反発が怖くて、ずっと公表できませんでした。
もしかしたら当時の私は、3年後の自分のために書いたのかもしれません。







命 と は



いつも思うことがあります。
私たちは気づくことができたけれど、まだ気づいていない人たちに、どうやって伝えるのか、ということです。


人というのは都合の良い生き物で、「忘れる」ということが得意です。
また「楽観的」に考えるのも得意。
だってそうしなければ生きていけないから。
悲しいことがあっても、次の日には仕事に行かねばならないし、愛想笑いのひとつもしないといけない。
自分の生活リズムが崩れるような精神ダメージは、それを修復するために「忘れる」しかないのです。
そしてそんなダメージを受けない予防策として「楽観的」になる。

そんな人たちにどうやってこの現実を伝えることができるんでしょうか。

少し前に、知人とランチに行ったときに言っていたのですが、
自分の人生において、たまにふっと、「あること」に、ピントが合う時が来る。
その「あること」というのは、人によって違っていて、「人間関係」だったり、「地球温暖化」だったり、「ゆるんだおなか」だったりします。
普段は視線をやることすらないその「あること」に、ある日バチっ!とピントが合ってしまう。

ピントが合うというのはすなわち、問題意識を持つということです。
私の場合は「動物の命の軽さ」でした。

いま他の誰かに「ゆるんだおなか」を指摘されたとしても、私は受け付けることができないでしょう。
正直言っておなかは多少ゆるんでいるけれど、そこまで興味はないし、もっと大事な考えるべきことが他にある、と思ってしまいます。
それと同じように、普通に食べて飲んで、身近な人間関係に一喜一憂しながら暮らしている人たちに、
いきなり「動物の命について考えて」と言ってもまったく相手にされないでしょう。

なぜならこの現代では、動物の命は、人間の生活から遥か遠い、遠いところに追いやられてしまったからです。
ちょっとやそっとでは手の届かない遠いところに、です。

スーパーには、それはそれはきれいなお肉がずらりと並んでいるし、アパレル店には流行りの毛皮ファッションを着たマネキンが華々しく立っているし、
10種類はあろうかという牛乳パックにはかわいい牛の絵が笑っているし、パステルカラーの明るいペットショップでは子犬がしっぽを振ってアピールしている。

有名化粧品メーカーのCMでは今をときめく女優さんが輝くばかりの顔で迫ってくる。
医学の進歩によって寿命は昔の2倍になった。

でもそれらはかつて、命だった。
すべてすべて命だった。



命。


実感の湧かないこの言葉を繰り返して、今さら誰に届くのかわかりません。



命とは血です。
命とは皮膚です。
命とは、転んでヒザをすりむいた時の痛みと熱さであり、
命とは、轢かれてぐちゃぐちゃになった内臓や、抜け落ちた毛や、骨を砕かれる激痛です。
命とは、排泄物の臭いであり、届かない思いです。
命とは、海の底にゆっくり沈んでいく恐怖と絶望です。


命とは、あなたの目から溢れる熱い涙です。
命には、あたたかい温度があり、あざやかな色があり、やわらかい手ざわりがあります。

命とは、あなたのお母さんが必死に守り抜いたものです。




命とは本来そういうものです。

その命が身近に感じられなくなった社会で、人間は自分の子供だけを大切に産み育て、漫然と消費を繰り返していくうちにこの日本ができました。
臭いものにフタをして、きれいなうわべだけさらって生きている私たち。

ゴミを誰が処理しているか、ゴミの日に外に出しただけではわからない。
流した汚物がどうなっているか、便器を見てもわからない。
毛皮がどうやって作られるか、フードについたファーからはわからない。
犬がどうやって殺されていくか、捨てた時の犬の表情からは読み取れない。

人間は分業しているから、うわべだけで生きていくことができるけど、
もし自分のことを全部自分でやらなくてはいけないとしたら、だいたいの人が精神崩壊するのではないでしょうか。
命と向き合って生きていない今の日本人には耐えられないでしょう。

それって、一番大切なものが抜け落ちている。
何かずれている、と思う。
ちょっとずつずれてきて、今ではもう修正できない巨大なズレになってしまっているのでは、と思う。

そのズレにピントが合った人はいいけれど、合っていない人に、どう伝えたらいいんだろう。
動物愛護とか、もうそういう問題ではないのです。

動物好きな人に任せておけば、と、また分業を考えてしまう人には特に、伝えたい。






---------ここから少々キツイです---------

命をリアルに考えるために、たとえばこんな質問を用意してみました。


【質問】 もし生まれ変わるとしたら、次のうち、あなたはどの人生を選びますか?絶対にひとつ選んでください。

A 拘束具をつけられ拷問、目も片方えぐられました。得体のしれない危険な薬品を注射されて体も精神もボロボロになりながら、それでも殺してもらえません。声帯も舌も切られたので声も出せず、相手が私に何を求めているのかもわからず、私の体を切り刻むのをやめてくれません。ここからは一生逃げられそうにありません。痛い。苦しい。早く死にたい。(実験動物の一生)

B 信頼していた親に裏切られ見捨てられました。悲しいけど泣いている暇もなく強制収容所に送られてきて、さっき他の子と一緒に金属の部屋に入れられました。恐ろしい。恐怖のあまりみんな失禁しています。だんだん息が苦しくなってきた・・・これはガスだ。苦しい、助けて。お母さんお父さん、見捨てないで。(殺処分されるペットの一生)

C 人身売買され、強制妊娠させられました。母乳を我が子に与えることも許されないのになぜか絞り尽くされ、何度も妊娠させられるうちに体はボロボロになり、母乳が出なくなるとまたどこかに運ばれました。先に運ばれていた友人が電気ショックで倒れ、天井から逆さに吊るされ首を切られました。次・・・私の番ではないですよね?(畜産牛の一生)

D 畳半分ほどの狭い部屋に監禁されて育ちました。糞尿は垂れ流し、病気の治療もしてもらえず、いつも苦しかった。成人して、やっと出してもらえたのに・・・いきなり足首を切られ、その切れ目から全身の皮をずるりと剥がされました。赤い血と、ただの肉のかたまりとなって地面に落とされてもまだ生きている私・・・あまりの激痛と失血とショックで意識がもうろうとしてきました・・・(毛皮になるタヌキの一生)

-----------------------



どうでしょう。選べましたか?

これらはすべて現実の動物の話ですが、人間の役に立っているのだから、動物がどうなろうと仕方がないですよね。
どれも合法的にされている行為だから、悪くないですよね?動物虐待ではないでしょう。
それにこれをやっているのは私ではないし。どこかの誰かが、私が寝ている間にやっていること。

そうですね。また見て見ぬふりをして、日常に戻りましょう!
今までだって、こんなことを知らなくたって普通に生きてこられたんです。
明日からもまた生きていける。


・・・でもなんかざわざわしませんか。
本当にそれでいいですか?
あなたの目に光るもの、こみ上げてくる気持ち、それはなんですか?
それがあなたの正直な気持ちです。
拒否反応を起こして、心が傷ついてしまった。
本当は人間は弱くて優しいのです。

こんな質問をしてごめんなさい。傷つけるつもりはありませんでした。
ただ知ってもらいたかったのです。

「どこかの誰かが、合法的に動物を利用しているだけ」じゃなくて、
「あなた自身が、他人に汚い作業を押しつけて動物虐待をしている」ということを。
うわべだけをさらって生きるというのはそういうことです。

でも、今それをあなたが知って、あなたの生活を見つめ直せば、本当は世界を変えられるのです。
何かを購入するとき、消費するとき、一瞬でいいので思いをめぐらせてみてください。
残酷な命の犠牲がないか、必要な量だけ購入しているか。

少しでも疑問を感じたら、心の中の、その小さな声を尊重してあげてください。
その小さな声は、犠牲になった動物の声そのものです。



自分と向き合って、自分に正直に生きることが、自分自身を救うことにもなると思うのです。


テーマ:動物保護
ジャンル:福祉・ボランティア

2014.04.09 00:17|思うこと
今日、仕事の昼休みに、岡山済生会病院横の車道で、大きな黒猫長毛の遺体を発見しました。

轢かれたばかりらしく、まだ硬直せずに温もりもありましたが、
頭蓋骨と顔面が粉々ぐちゃぐちゃで、即死だったと思います。

顔面の骨が割れてバラバラになり、肉と骨が外れて、
白い筋肉と赤い血が細かく散り散りに乱れていました。


車はどんどん、よけながらも駆け抜けていくので、
それ以上散り散りにならないよう、歩道まで抱えて運んで、
保健所に電話すると、死体なら市役所に電話してと言われ、

市役所に電話すると、市内で死体や廃棄物なんかを回収するために
巡回している民間の委託業者がいるので、向かってもらいます、とのことで、場所を伝えました。

昼食に行く途中で会社の先輩をそばで待たせてたので、
手を合わせて、よくがんばったねと、
かろうじて破壊されず残った後頭部を撫でてあげて、その場を去りました。


帰りに通ったら、もういませんでした。


いつも思うんですが、こういう子は、ゴミとして回収されるしかないんでしょうか?

いつもは死後時間がたっている子を車の運転中に発見することが多いので、
割り切って電話してその場を去ってきましたが、

今回は、
素手で抱えたときに感じたぬくもりが、さっきまで確かに生きていた証で、

そういう子がゴミと一緒に回収車に放り込まれる姿を想像すると、いたたまれなくて、
何か他にできることはなかったんだろうかとモヤモヤしてしまいました。


ボランティア先輩に相談すると、今度からはお金がかかっても火葬してあげよう、
みんなでお金を出し合って送ってあげよう。
と言ってもらい、泣けてきました。


可哀想なことをした、せめて温もりがあるうちは回収を頼むべきではなかったと後悔して、
あのフサフサした黒い毛や、まだ死後硬直も始まっていない
柔らかい関節や肉球が思い出されて仕方ありません。


道路上の遺体を発見する時はいつも、時間に限りがある時ばかり。

どこに連絡すればいいの?と一般の方からもよく相談されます。


もしゴミとして回収される以外に、
たとえばペット葬儀業者が迎えにきてくれるなら、お金を払ってもいい。
さっきまで生きていた尊厳として、人間同様手厚く扱ってくれる光景を、
私も含め発見者は求めています。


きれいな長毛の子。もしかしたら、探している飼い主さんがいるかもしれない。

明日の昼休みに、事故現場付近のお宅に、心当たりがないか聞いてまわろうと思います。
私が飼い主だったら、どんな姿になっていても、結果を知りたいと思うから。

メインクーンmixか思われるような大きな体、黒い長毛の子です。

血の汚れなど気にせず性別を確認すればよかった。
不謹慎だと思わず写真を撮ればよかった。


色々思いが巡るけれど、今できることをやるしかない。

テーマ:動物保護
ジャンル:福祉・ボランティア

2013.01.23 19:56|思うこと
岡山市内には昔ながらの路面電車というものが走っていて、
私は毎日それに乗って通勤しています。

なんの変わりもない毎日の通勤風景なんですが、最近ちょっと気になるおばあちゃんが乗ってきます。
私がそのおばあちゃんと遭遇したのは今日で二回目ですが、
一回目と同じように、今回もすこし緊迫した空気が流れました。

というのが、そのおばあちゃんは足が悪いらしく、路面電車に乗り込む時に段差を上手く登れないのです。

そして今回は運悪く乗務員がそういう場面に慣れていない人らしく、
手を貸そうとせずオロオロするばかり。
なんとか上から手を引っ張るものの、ちゃんと支えてあげないので、
おばあちゃんは電車の床に横転してしまったんです。

床にごろんとなって起き上がれないおばあちゃん。
手を差し伸べない乗務員。
胸が締めつけられるような光景。

なにやっとんねん!!(怒)
たまりかねて私が駆けつけ、支えて起こし、声をかけながら近くの椅子に誘導しました。
他のお客さんも私と同様の反応です。
乗務員が役立たずなのがわかったので皆心配そうにおばあちゃんを見守りました。

「皆さんご迷惑をおかけしてすいません。やっぱダメじゃったか・・・」

おばあちゃんのバツの悪そうなその言葉を聞いて私はなんだかすごい情けなくなりました。
何が情けないって、お年寄りにそんなふうに思わせてしまったこと。

「だめじゃないよ、電車に乗りたかったら、またいつでもチャレンジして!みんな手を貸すから!」
と言いたかったけど席が離れていたので心の中で精一杯エールを送りました。

おばあちゃんは降りるときも皆に向かって丁寧にお礼を言って降りていきました。


* * *

ちょっと切ないお話ですが、
私は私でこの一連の出来事を通して、ある発見をしていました。

以前の私だったら、こういう場面はとても苦手なので、きっと乗務員と同じようにオロオロするだけだったと思うんです。
いい大人なのに、人前で発言したり行動することがどこか気恥ずかしくて他人任せにしてしまうかんじ。

でも今回は、自然に体が動いていた。
最近ちょくちょくそういう発見があるなあと思っていたんですが、今回のことで決定的に確信しました。
私は変わったんだなあと(^_^)

どう変わったかというと、「社会」と「私」の間にあった、ヘンな壁がなくなったように感じます。
安心して繋がっていられる。
社会というのはすなわち人とも言えるんですが、人と繋がることに懐疑心がなくなったんですね。
以前は、人と接するときに、そりゃーいろいろゴチャゴチャ考えていたのが、今はそんなのはどうでもよくなりました(笑)

人にどう思われようと、少々のことはどうだっていい。
もっと大事なことが他にあるし、私は私に誇りを持てるようになったから、
社会と繋がることを恐れなくてもいいようになったんです。


そしてそう思えるようになったのは、動物たちのおかげなんだなあと気づきました。

保護シェルターに通うようになって1年あまり、動物を通していろんなことを勉強させてもらいました。
社会問題として取り組み、いろんな場所で自分の思いを「出力する」ことや
いろんな世代や職業の人と頻繁に接するようになった事はもちろん私に良い影響を与えていますが、
何より動物と接すること自体が私にものすごい影響を与えていると思います。

動物は正直です。
嫌いな人には嫌いな態度をストレートにぶつけてくる。
逆に好きな人には、文字通り体当たりで「好き好き!」とぶつけてくる。

そういう動物の素直な感情表現に接していると、
なんていうかこっちまで、まっすぐな人間になっていく(^_^*)

そしてその良い影響を与えてくれるのは、何も純真無垢な子犬子猫や、
性格上何の問題もない普通の犬猫だけではないんですよね。

心を閉ざしているような大人の動物と接する事でも、人間の心は洗われていくんです。


* * *

シェルターの古株に「かおり」という名前の犬がいます。

この子は多頭飼育崩壊の現場からやってきた子で、
ろくに世話もしてもらえず糞尿が積もって固まった地面の上で生活し、
避妊もされないままオスと同じ檻に入れっぱなしにされ妊娠した子です。

シェルターに来てからも極端に人間を恐れ、いつも同じ場所をぐるぐる回り続ける常同行動が現れていました。
当初は産まれた仔犬の育児もあったので余計にピリピリしていて、
人間が近づくと歯をむいてうなり、噛む真似をするなど威嚇をしていました。

かおりが入っている室内のフェンス内は、いつも散り散りになった新聞紙と糞尿がドロドロぐちゃぐちゃに散らかっていて、
掃除をしようにも威嚇されるのでボランティアは手を焼いていました。


kaori1.jpg
(当時のかおり。フェンス越しに「入って来るな!」と言っていた。)

kaori_ko1.jpgkaori_ko2.jpg
(かおりの子供たち。みんな里親さんのところに行きました。)



もちろん触ることはおろか、首輪をつける事もできないまま数か月がすぎ、
子犬に里親さんが決まり手を離れてからは少し落ち着いて首輪とチェーンをつけることができたものの
やはり人間が近づくとその場を行ったり来たり、直線上を反復する常同行動は消えませんでした。

かおりにとって人間が近くにいることは、ストレス以外の何物でもないように思えました。

日々のお世話の時も、私はかおりに対してはあきらめのような感情を抱いていました。
前を通りかかる時など名前を呼んで話しかけるようにはしていましたが
噛まれるのは怖いし、特にスキンシップを試すような事もなく、ごはんを置いたらすぐにその場を離れていました。



かおりの表情が変わったのはいつ頃からだったでしょうか。
ある日、里親募集ポスター用の写真を撮って気がつきました。

kaori2.jpg


目が優しくなったよね、かおり。
きっと他のボランティアさんも毎日毎日かおりに声をかけてくれて、
触れないながらもいろいろ努力し続けてくれたおかげなんでしょう。



何を思い立ったのか、今年に入って私は、かおりに触れてみようと思いました。

近づくと逃げるので、チェーンを持って、少しずつ引き寄せていく。
手にはお散歩用のリードを持って、そろ~りと近づけて付け替えを試みましたが、1回目は失敗。
かおりはすごく抵抗するし、私もびびってそれ以上は近づけませんでした。

きっと時間がかかるだろうな・・・と思いつつ、次の週もう一回チャレンジ。
やっぱり少し抵抗はするものの、あれ?前よりすんなり・・・・・リードの付け替えに成功!?

さらに、そのままそーっと首の回りを触り、頭も撫でさせてくれるではありませんか(TT)
あまりにもあっさりと触れたので、私はビックリしてしまいました。
かおりは唸ることもなく、優しい目をしていました。

今まで一度も触れたことのないかおりの体、遠くから見るだけだったかおりの毛を触ってみると
ふさふさと柔らかくて、涙が出そうになりました。

こんなにも優しいかおりの事を、私は今まで誤解していたんですよね。
噛まれる、怖い、と思いすぎて、触ろうともしなかった。
そんな自分が情けなくなって反省しました。

いっしょにいた他のボランティアさんが、
「犬と人間も相性っていうのがあるのよ、きっとかおりと相性がいいのね」
と言ってくれて、とても嬉しく思いました。
これからはもっとかおりとスキンシップしてあげよう。

そしていつの日か・・・新しい家族がかおりの事を見つけてくれますように。

kaori3.jpg



* * *

1年前からかおりを見てきて、今年になってこんなに嬉しいことが起こって、
私はあらためて動物と接することの喜びを感じています。

人間に慣れず引きこもってしまう成犬は、コロコロと走り回る無邪気な子犬より、かわいくはないかもしれません。
でも問題を抱えているからこそ見えてくるものもあり、
普通では味わえない喜びや、生きるための深い示唆や、絆を感じることができる
のです。
そういうのって、子犬から育てるのとはぜんぜん違う。
上手く言えませんが、そういう成犬たちは、目には見えないけれど宝物を持っているんだと思います。

シェルターにはかおりの他にも、心に傷を持っている成犬や成猫たちが暮らしていて、
元気な子犬ちゃんや、人なつこい猫たちも暮らしていて、
また、底抜けに明るいヒトや、優しすぎるヒトや、どこか不器用な大人のヒトたちなども集っていて、
そういう、いろんな事と接していると私の心は自然と鍛えられ、また洗われていったんですね。

それに、動物と接していて、弱い存在を守ることが当たり前になった。
ボランティアすることに慣れて、損得だけでは動かなくなった。

弱い存在とは何も動物だけではなく、社会的に弱い立場の人たちもです。
電車で段差を登れないお年寄りに遭遇した時や、障害を持った人や、事故現場に遭遇した時などでも
とにかく何でもいいから何かをすべきで、それが当たり前になった。
自然と体が動くようになったと思います。


普段意識することは少ないかもしれないけれど、
動物が私たち人間に与えてくれるものは、それはそれは大きいです。

私たちより社会的にずっと弱くて、ひどい扱いを受けている動物たちから、
たくさんの愛をもらっていることを忘れてはいけません。











テーマ:動物保護
ジャンル:福祉・ボランティア

2012.01.06 03:08|思うこと
私たちが見ているこの世界というのは、それぞれ自分が必要だと思って選び取った、情報の集まりです。

だからどんなふうにも世界を変えることができる。

これまでの私の世界は、かっこいいものやかわいいもので、できていました。
異性との楽しいひとときや、飲み会やカラオケ、おいしい食べ物、美容と健康。
興味の対象はもっぱら身近な人間関係。
何も知らずに消費をくりかえしていたあの日々

だけど、だけど・・・

2011年12月3日。私の世界は劇的に変化しました。
はじまりは一冊の小冊子。
その冊子には、行政による犬猫の殺処分のことが書かれていました。

なんとなくは知っていたけど、なんとなく流してきた「その」事実。
どうして今さら足を止めてしまったのでしょうか。

知れば知るほど不気味な人間社会。
私たちの無知と無関心がこの社会をつくってきました。

こんなことは知りたくなかったです。
でももう、何も知らなかったあの日々に戻ることはできません。

だったら・・・動くしかない!
もう自分をごまかして生きていくのは嫌だと思いました。
そして私なりにできることを探して、すぐにツイッターをはじめました。

・・あれから1ヵ月、ほんの少しだけ活動範囲を広げ、今ではボランティアに行ったりするようになり、
自分の活動をより多くの方に知っていただきたいと思うようになりました。

また動物愛護法を勉強したり、保健所に問い合わせたり、ネット検索で集めた知識を、
どこかに集積しておきたいとも思い、ついでに情報発信できたらすごくすてき!
ということでこのブログをはじめたわけです。

私もまったくの無知から勉強していますので、
私と同じように今まで無関心だった人たちに共感してもらえたらいいなと思います。


この地球上に生きるすべての尊い命のために。
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プロフィール

にゃんとら

Author:にゃんとら
岡山の猫好き。
犬猫を愛護センターや保健所からレスキューするNPO法人の動物愛護ボランティアに参加。シェルターに犬猫のお世話に行きながら、個人ボランティアとしても情報発信しています。
本職はグラフィックデザイナ~。

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