FIP看護日記(4) 『 最後の1週間、そのあと3日 』
2012.07.22 23:21|ボランティア活動|
ひとつの小さな命と向き合った30日の記録。伝染性腹膜炎 (FIP)と闘う猫と人のために。
*-*-*-*-*-*-*-*- *-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-
→ はじめに… 命を看取るということ
「今から思えば、あの時私は、すべてをきれいに終わらせる事ばかり考えていたんです。」
→ 看護日記(1) 『 不安の1週間 』
「生かすための看護ではなく、看取るための看護って、こんなにむなしいものなんだ」
→ 看護日記(2) 『 苦悩の1週間 』
「もうシリンジを突っ込むのは嫌だ。心が折れそうになる。」
→ 看護日記(3) 『 迷いの1週間 』
「今後はどうすればいいのか、考えがまとまらなくて戸惑っていた。」
→ 看護日記(4) 『 最後の1週間、そのあと3日 』
「自分が何をやっているのかわかっていなかった。ただその場その場の判断で動いただけだ。」
→ まとめ(仮) (準備中)
*-*-*-*-*-*-*-*- *-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-
看護日記(4) 『 最後の1週間、そのあと3日 』
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6月22日(金)
朝方、カリカリを食べる音が聞こえた。
起きて見てみると、ロイヤルカナンのキトンのほうが減っている。
モンプチかつおだけでなく、ロイヤルカナンを食べてくれたのが嬉しかった。
通院。
今日は寝坊した上に、先客あり。
さらにレントゲンを撮るので遅刻するかと思ったが、
先生がスピーディーにしてくれたおかげで時間的には余裕だった。
レントゲンの結果、水曜にレントゲン撮った時より胸水が増えているので、
点滴は中止することに。
自分ですこしは飲食できるなら、点滴までして胸水を増やすことはない。
昨日噛まれた右手、痛みは少なくなったが、腫れと熱と赤みがひどくなっている。
昨夜は手首の血管にほんの少しかかるくらいの広がりだったが、
今日はもうすこし手首を進んで、赤みと腫れがのぼってきている。
だいじょぶかな。
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6月23日(土)
休みの日なので少しゆっくりめの通院。
レントゲンを撮る。
胸水は少し増えているが、まだ抜くほどではない。
明日は日曜日、本来なら休診日だが、先生はヒーローの治療に対応してくれると言う。
17~18時ごろに通院することになった。
ヒーローは今日はなんだか少し元気がない気がした。
食欲は昨日より弱い。
パウチにまたたびの粉を少量ふりかけると、少し口にしてくれた。
夜寝るとき、いつもならふとんでいっしょに寝るのに、
今日は自分のベッドにずっといた。
噛まれた右手は、今日はもう治りかけている。
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6月24日(日)
朝方、ヒーローの動く音で目が覚める。
トイレに向かっていき、しばらくして帰ってくる。
おむつをチェックしてみると、おしっこ&うんちも。
やっと出た。

今日はシェルターの日なのに、疲れていて寝坊した。
慌てて向かう。
ヒーローの部屋に、成猫が移動していた。
もうほんとに帰る場所がないんだな。
帰宅。
体がだるく、眠気がすごい。いつの間にか寝ていた。
17時半、病院にこれから行くと電話すると、18時から急用が入ったので、
できるだけ早く来てくださいと言う。
バタバタと行くと、こちら都合ですいませんと、申し訳なさそうに先生。
ヒーロー、今日も少し元気弱い気がする。
食欲もない。
帰りにお気に入りの自然食品店の閉店セールに寄る。
目当てのせっけんハミガキは売り切れ。
新店舗の商品取り扱いについて質問しても、あやふやな返事。
モヤモヤして帰る。

この日、ささいなことから旦那さんと大変なケンカになってしまった。
ふとんに入るとすぐに意識を失い、やっと長い1日を終えることができた。
最低な日だった。
---------------------------------------------------------
6月25日(月)
疲れがピークで、昨日のケンカもあり、朝なかなか起きられなかった。
体が重く、頭がぐらぐらする。
病院。
レントゲンを撮ると、土曜に撮ったときと、ほぼ変わりない量の胸水だった。
まだ抜かなくていい。
食欲ないのが気になる。
同じ病院に入院中の、ある子猫が亡くなった。
お別れをするために会わせてもらった。
ダンボールに入った子猫を見て、悲しくなった。
ヒーローの通院の時に、ほぼ毎日顔を見ていたのに、
触ったり抱いたりしてやれなかった。
入院の金属ケージの中でひとりぼっち、すごくさみしかっただろう。
小さな体で一人がんばっていた子猫、
亡くなるとわかっていたら、ケージから出して抱いて撫でてやればよかった。
今となってはもうできない。
そのことが悔やまれる。
あらためて、治療とあきらめの判断や、猫にとっての幸せを考えさせられた。
ヒーローが亡くなる時は、
どうしてやればいいだろうか。
---------------------------------------------------------
6月26日(火)
ヒーローのうんちあり。
今日でインターフェロン終了。
明日、血液検査してみることに。
良くなっていればいいが、黄疸がなくなっている様子はない。
やっぱり治癒は難しいのか。
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6月27日(水)
朝、ヒーローは昨日までより元気がないようだった。
ふとんの上でごろんとなって、あまり動きたくなさそう。
病院で待っている間、ヒーローの右目の上の血管が赤くなっているのに気付いた。
頭の上にかけて赤く充血した皮膚がつづく。
首のうしろの毛をかけわけてみると、そのあたりまで、血管にそって赤くなっているようだ。
これはなんだろう?
背中の皮膚は毎日注射をしているせいで真っ赤っかだが、その場所とは離れている。
インターフェロンの効果をしらべる血液検査。
足に針を指すが、なかなか血が出てこない。
ヒーローはぐったりしている。
結果は、残念なものだった。
黄疸を表す数値がひどくなっている。
赤血球も白血球も極度に少ない。
もう自力で血液をつくれていないらしい。
他の数値も軒並み悪い。
今生きているのが不思議なくらいの数値らしい。
【6/27 血液検査の結果】
インターフェロン、ステロイド、ともに中止。
明日からは、治癒目的ではなく、できるだけヒーローが楽になれるよう
ビタミン入り点滴のみの投与をすることに。
今月中もつかどうか、と言われた。
今月って、あと3日だ。
ショックだった。
帰りの車の中で涙が流れる。
ボラ仲間さんに報告、一斉送信のお願い。
土曜日までヒーローががんばってくれたら、みんなに会いにシェルターに連れて行こう。
仕事中、置いてきたヒーローがどうなっているかと気になり、そわそわしていた。
定時になると急いで帰宅。
ヒーロー無事。
キャリーに閉じこもっていた。
トイレの手前のシートにおしっこがあるので、
朝からずっと閉じこもりきりというわけではなさそうだ。

今日からは、少しでも長くいっしょにいてあげようと思う。
自宅の猫3匹には、かまってやれなくて申し訳ないと思う。
ごはんをあげて、すぐに2Fヒロ部屋に上がった。
今だけ、ごめんね。
ヒロ部屋でいっしょにごはんを食べる。
といってもヒーローは一切口をつけない。
私が食べているのを見たら、ヒーローもつられるかなと思ったが、
そうはいかなかった。
お風呂をすませて、すぐにヒロ部屋にもどる。
今度はケージではなくねこハウスに入っていた。
やはり閉じこもりたいのか。

寝るとき、そばに寄ってきた。
こんなにきれいな猫が、もうすぐ死んでしまうなんて。
いっしょに寝そべって、しんみりしていた。


そしたら少し驚くことが起こった。
私がうつぶせで、左腕でヒーローを抱きかかえるように腕を回していたときのこと。
ヒーローが突然、左手で、私の回している左手をがしっと掴み、自分のほうへ引き寄せた。
そしてその上に、アゴをのせ・・・満足げに目を閉じた。

私は思わず笑ってしまった。
なにそれー。
最初は子供を見るように、かわいく思った。
でも逆になんだか、変な話だが、「男気」のようなものも感じた。
「泣くなって、オレはまだ死んでねーよ」
そう言っているような気もした。
それくらい、がっしり力強く、掴んで引き寄せられたのだ。
辛いのはヒーローのほうなのに、その病気の猫に励まされ、
守られているような不思議な感覚があった。

そのあとも写真を撮ったり話しかけたりするが、私もいろいろ重なり、疲れて眠い。
いつの間にか気を失っていた。
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6月28日(木)
朝方、何度か目が覚めた。
ヒーローは、私のそばにはいず、見るたびに位置が変わっている。
最終的には、足元に置いていた、たたんだ毛布の上に陣取っていた。
病院で、点滴。
ヒーローは昨日よりもさらに悪くなっているように見えた。
針を指すときも、あまり抵抗しない。
でも点滴の最中には、何度か嫌がって動いた。
今日からは車で通勤する。
昼休みに様子を見に帰らないと、いつどうなるかわからないし、
日中ずっと一人ぼっちで、さみしい思いをさせたくない。
昼休み、自宅に帰る。
ヒーローは息が苦しそうに見えた。
昼ごはんをヒーローの部屋で急いで食べる。
1時間の昼休みでは、いっしょにいる時間はほとんどない。
こんなときに限って仕事が多く休めない、タイミングの悪さを呪った。
そして自分が情けなくなった。
夜21時ごろに帰宅。
ヒーローの様子がおかしい。
昼よりさらに息が苦しそうだった。
息をするたびに鼻からフー、グウー、という音が鳴り続け、口が開いていた。
水色のベッドに寝かせてやり様子を見る。

やはり早急に胸水を抜くべきかもしれないと思い、病院に留守電を入れる。
30分たっても折り返しがない。もしやと思いもう1度電話をかけて確かめる。
やはり最後の#を押していなかった。なにをしているんだか。
あらためて留守電を入れると10分後に折り返し。
先生的には、血液検査の結果がひどかったので、苦しいのは胸水とは限らないという。
抜いても良くならない可能性もあり、また抜くことで痛みとストレスにより
その場で亡くなる可能性も否定できないという。
ボラ仲間さんに電話で相談。
話しているうちに、自分がすでに病院に行く気になっていることに気付く。
そのほうが、より後悔が少ない気がした。
ベッドでぐったりしているヒーローをそのまま抱きかかえ、助手席に乗せた。
22時20分ごろ病院に到着。
抜くことでどうなるかわからない、という事を念押しされ、
覚悟を決めて処置を開始する。
エコーで見て毛をそり、針を刺して抜き始める。
ヒーローは苦しそうにしていて抵抗はない。
血のような真っ赤な液体が出てきてびっくりする。
まさか血を抜いているんじゃないだろうかと一瞬そわそわして先生を見る。
黄疸が進むと胸水も色が濃くなり、最終的にはそういう色になるのだとか。
真っ赤な液体を100mlほど抜いた。
直後、ヒーローはすこし呼吸が楽になったように見えたが、
以前抜いたときと比べて、劇的な変化はなく、まだ少し苦しそうだった。
少しはマシになったのだろうと安心して、先生に時間外のお詫びとお礼を言って病院をあとにする。
病院から出るときもヒーローはベッドに寝たまま、鳴き続けている。
元気になった証拠かな、それともまだ苦しいのかな、と考えながら助手席に乗せる。
そして車を走らせてまもなく、それが起こった。
大きな交差点を左に曲がり、ひとつめの坂を越えたあたりで、
突然ヒーローが大きな声で叫んだ。
びっくりしてヒーローを見ると、何かを訴えるようにこちらを見て、
鳴きながら体をよじらせている。
あわてて車を路肩に寄せ、止まる。
ヒーロー!ヒーロー!と名前を呼んで助手席に置いたまま抱くようにかがみこむ。
間もなく、終わりが始まったと私は気付いた。
最期はもっと暗くて静かな場所で、しっかり抱いてやって看取りたい。
そう思ってまた車を走らせた。
さっきより少し落ち着いている。
急げ、急げ。家まで間にあうかもしれない。
そう祈りながら、スピードをあげる。
右折して川沿いの道に入ったころから、またヒーローの様子が変わった。
苦しそうにもがいたり鳴いていたのはおさまっていたが、
今度はやけに静かになり、目がうつろになって遠くを見ていた。
鼻の奥で破裂音のような、詰まっているものが通って突き抜けるような小さな音が
パツンッ!パツンッ!と断続的に鳴った。
体が停止しようとしている。
もうだめか。
また車を止めた。
どうしていいかわからず名前を呼び続けた。
また走り出した。
左手はヒーローの体に置いていた。
家に向かって走っている最中に、ヒーローは完全に静かになった。
自分が何をやっているのかわかっていなかった。
ただその場その場の判断で動いただけだ。
結果的にヒーローの最期を、抱いて看取ってやることはできなかった。
泣きながら走った。
家に着き、ベッドごと抱きかかえて玄関の前に立つ。
よっちゃんが出そうなので、いったんヒーローを玄関外の床に置いて家に入らなければならなかった。
亡くなったばかりの遺体を1分でも外に放置することは忍びなかった。
猫たちをリビングに入れて扉を閉めてから、ヒーローを迎えに出て、そのまま2Fに上がった。
明るい部屋でヒーローをしっかり見ると、本当に事切れている。
きれいに目を開けて、切なそうにこちらを見続けていた。
もう遅いが、抱き上げて体に寄せ、しっかり抱きしめてやる。
まだ温かいのに、だらんとした重みが、私の胸に突き刺さる。
やっと死を実感し、泣いた。
2回目に車を止めた時、そのまま抱いて看取ってやればよかった。
自分の判断力のなさ、経験のなさが、ふがいなかくて、心の中で詫びた。
ベッドに寝かせ、姿勢をととのえてやる。
息を引き取った時と同じように、左を下にして寝かせる。
腕は自然とクロスして、手首は重力に従いゆるかやに曲がってかわいいポーズになった。
開いたままの目がきれいだったので、しばらくぼーっと眺めていた。
時計を見ると、23時30分ごろだった。
ボラ仲間さんに電話。
先生の言われたとおりになった、処置をしたことで体への負担がかかり急逝したのだろうと報告した。
でも精一杯やったのだから、ヒーローも感謝していると、涙声で、なぐさめてくれた。
別のボラ仲間さんに一斉送信のお願いメールを送った。
時間をかけて目を閉じてやる。
その間に少しずつ体は硬くなっていった。
まだ柔らかいにくきゅうを触ったり、生前のように、麻痺した右足をさすってみたりしているうちに、
気持ちが落ち着き、いったん部屋を出た。
旦那さん帰宅、報告。
いっしょに2Fにあがり、ヒーローに会う。
さっきより硬直が進んでいた。
私はまだぼーっとしていたが、保冷しないといけないと旦那さんが言ってくれ、気づいて保冷を始める。
部屋を片付けるなら手伝おうかと言ってくれるが、まだいいと断る。
保冷剤と氷をベッドの中に置き、ナイロン袋でベッドごと覆う。
ヒーローの顔は半透明のナイロンに遮られて、もやがかかったようにぼんやりと見えた。
寝室に移動し、冷房をつけた。
その日はヒーローと寝る最後の日となった。
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6月29日(金)
朝、シェルターにヒーローを安置しに行き、
そのまま車で仕事へ。
やはり気持ちは沈んでいた。
仕事中何回か、ふとした時に涙が出そうになり、トイレに行って泣いた。
ヒーローの送り方は、火葬に決めた。
自分で葬儀場に予約を入れ、一斉送信してもらう。
夜22時ごろ、シェルターに様子を見に行く。
ヒーローと2人の時間を過ごそうと、夜食とノンアルコールビールを買っていった。
ヒーローはたくさんの花に囲まれていた。
みんなお別れにきてくれたようだ。
私が着いて間もなくして、ボラ仲間さんも仕事終わりで来てくれた。
会社の花壇からもらったというお花を持ってきてくれた。
ノンアルコールビールはそのボラ仲間さんと2人で、ヒーローのお通夜のように分かちあうことになった。
亡くなったときの話や、埋葬の事などを話して飲んだ。
それからシェルターをひととおり見回ってから帰った。
今日、私は、いたって冷静だった。
たまに涙がにじんだりはするが、特に気持ちが大きく乱れるということもなかった。
きっと看病してきたから、覚悟ができていたんだろう。
それにヒーローは、麻痺して思うように動かなかった体、病気で苦しかった体から
やっと解放されたんだ。
虹の橋。
その話が強く影響していると思う。
私は知らず知らずのうちに、魂と体を切り離して考えるようになっていた。
だから火葬も受け入れることにしたんだ。

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6月30日(土)
朝、シェルターにヒーローを迎えに行く。
ボラ仲間さんが、送る用の箱を手作りして持ってきてくれていた。
2人で箱に花を入れ、ヒーローを飾ってあげた。
葬儀場までボラ仲間さんのあとをついていくことにした。
いつものように、ヒーローを助手席に乗せて出発する。
車に乗せるとうるさいほど鳴いていた、もうあの鳴き声は聞こえない。
葬儀場に行く道中、ずっと片手で運転していた。
本当に最後だから、ずっと触っていたかった。
亡くなった夜、抱いてやれなかったし、ずっと触り続けてやれなかったから、
今日くらいはずっとずっと手を触れていたかった。
ヒーローはもう冷たいけれど、まだフサフサだった。
さすがに悲しかった。
本当に滝のように涙が流れて滴った。
葬儀場に着くまでずっと、止むことのない涙を静かに流し続けた。
もうすぐ、このフサフサの毛を触ったり、匂いをかいだり、足をマッサージしたり、
できなくなるんだ。
到着すると、ボラ仲間さんが3人も来てくれていた。
みんな私にねぎらいの言葉をかけてくれた。
一人は自宅から摘んできてくれたという花を、ヒーローの顔のそばに入れてくれた。
もう1人あとから到着して、いっしょに行った人も私も入れて6人で送ることになった。
簡単な葬儀のようなものがあり、順番に線香をあげる。
葉っぱで水をすくい、口元をしめらせてあげる儀式も。
ごはんを持たせてやる事を知らなかったので、葬儀場に用意してもらう。
ヒーローが好きだったかつおぶしと、モンプチをお弁当に持たせてあげた。
そのあと火葬へ。
最後のお別れをして、みんなで合掌して見送る。
扉が閉まる瞬間は、やはり見ることができなかった。
およそ40分で終わり、収骨に向かう。
骨は思っていたより粉々になっていた。
そして、骨を見てもそれほどつらくはなかった。
病気治療などで薬品が残っている場所は青く残ると言う。
ヒーローは背中のあたりが水色になっていた。
毎日、背中に注射をがんばっていたもんね。
みんなで骨を拾って骨壷に入れていく。
最後に残った小さな骨のかけらまで、ハケでさらって入れる。
その途中に歯を見つけた。それは壺には入れず、もらって帰ることにした。
帰りはボラ仲間さんといっしょだったおかげで、落ち込まずにすんだ。
でも送り届けたあと、一人で運転を再開するとやっぱりつらかった。
骨壷を見ると、かなりこたえた。
2日前までは動いていたヒーローが、急に動かなくなった。
さっきまでフサフサだったヒーローが、今はこんな小さな姿になってしまった。
持つとカチャカチャと乾いた音を立てる陶器に、ヒーローの姿を重ねることはできなかった。
ヒーローはどこへ行ってしまったんだろう。
家に着いてリビングのテーブルにヒーローを置くと、どっと感情が押し寄せてきた。
骨壷を抱いて、わんわん泣いた。
そのあと気を取り直して、水をあげ、
ヒーローの写真を印刷して、骨壷にセットしたり、写真立てに入れたりした。
写真の選定と加工にはずいぶん時間をかけた。
陶器の音が嫌なので、蓋にクッションをはさんだ。
2Fの元いた部屋に、ヒーローの場所をセッティングした。
1週間前に買ったばかりのキャスターワゴン。
そこに缶詰や、シーツやおむつなどをまとめて入れていた。
それは、ヒーローを看護するという私の意気込みそのものだった。
今は無用となったその木製天板の上に、骨壷と写真と、お水とごはん、線香をならべた。
それを少しひいて見てみると、本当に、もの悲しい。
亡くなってからずっと、その部屋に入るたびに、
部屋のどこかにヒーローの姿を探している自分に気づいて、泣いた。
今日はその思いがピークになり、寝る前にもう一度部屋に入ったときには、
目の前の骨壷や写真を見ても、
なぜヒーローがいないのか、わからなくて、ひどく泣いた。
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7月1日(日)
亡くなった28日から、この看護日記の続きを書けずにいた。
今日になって、やっとまとめて書いている。
昨日よりはいくぶんか気分はマシになった。
ヒーローがいた部屋のそうじをして、気持ちをすっきりさせた。
それでも、ふとんを片付けるついでに寝転んだとき、
その感触とふとんの匂いにヒーローの面影がよみがえり、
一気にこみ上げてきて、泣いた。
1ヵ月、毎日ここでいっしょに寝た。
他の猫と違って、ヒーローは神経質なところがなかった。
足が麻痺しているせいもあるけど、機敏な動きでどこかに逃げてしまうようなことがなく、
引き寄せると素直に身をまかせてくれるのが嬉しかった。
ベッドではなく簡易的な敷布団なので、腰を痛めながらも毎日いっしょに寝た。
おむつの間からおしっこが洩れて、よくふとんを手洗いした。
闘病生活の最初のほうは、シリンジで薬やミルクを無理やり与えていた。
それがヒーローにはしんどくて、私にとっても苦痛だった。
後半はそれがなくなり、やっと落ち着いた看護生活を送れるようになっていたのに・・・。
初めて会った12月25日から、きっと、ずっとヒーローは私のことが好きだった。
私は愛護センターの収容写真を見た時からずっと、会う前から、好きだった。
それなのに、いろんな活動が忙しくなってきた3月ごろからは、
最初のころに比べてヒーローのためにとれる時間が減っていた。
シェルターに行くたびに軽いマッサージと、トイレの入念な掃除は続けていたが、
ヒーローにかける思いは徐々に薄れていっていた。
白血病とは言っても、ストレスのない生活を続けていれば寿命を全うできる病気だし、
虫下しとアゴの針金を抜くのが落ち着いた後は、ほったらかしていたと思う。
5月には子猫を預かって、ますます忙しくなった。
子猫が病気にかかり、看護に必死だった。
ちゃんと触れ合っていなかった数週間のあと、まともにヒーローを見たとき
すごく太っていてショックだったこともあった。
自分がちゃんとヒーローを見ていなかったせいだと気付き、ほったらかしたことを忍びなく思った。
そうこうしているうちに、ヒーローはFIPになっていた。
6月1日にはもう胸水がパンパンにたまっていたんだ。
その前の週に、ちゃんと見れていたら、異変に気づくことができたはずだ。
前の週といえば・・・子猫の一匹が完治し、里親が決まり、
よっちゃんをうちで引き取ると決めた週だ。
そうだ、私は子猫に夢中だったんだ。
早く気づいていれば、もしかしたら助かったかもしれないのに。
そもそもは、私がヒーローに目を向けていない時期にFIPになったんだ。
私にちゃんとかまってもらえなくて、寂しかっただろう。
そのストレスで発病したのかもしれない。
あとは・・・
24日の喧嘩は、2Fにいたヒーローも怖かっただろう。
それでストレスで一気に容体が悪くなっとのでは、ということも思ってしまう。
看護生活を精一杯やったという思いと、できていなかったかもという思い、
それから自分がちゃんとしていたらFIP自体なってなかったかもしれないという思いが、
混ざり合って複雑な感情になる。
私はまだ、ヒーローがいなくなったということを受け入れていない。
だから、ごめんね、も
ありがとう、も、まだ言えない。
ヒーローの写真を前にしても、名前を呼ぶことしかできない。
* * *
(看護日記おわり)
→ まとめ(仮) (準備中)
*-*-*-*-*-*-*-*- *-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-
→ はじめに… 命を看取るということ
「今から思えば、あの時私は、すべてをきれいに終わらせる事ばかり考えていたんです。」
→ 看護日記(1) 『 不安の1週間 』
「生かすための看護ではなく、看取るための看護って、こんなにむなしいものなんだ」
→ 看護日記(2) 『 苦悩の1週間 』
「もうシリンジを突っ込むのは嫌だ。心が折れそうになる。」
→ 看護日記(3) 『 迷いの1週間 』
「今後はどうすればいいのか、考えがまとまらなくて戸惑っていた。」
→ 看護日記(4) 『 最後の1週間、そのあと3日 』
「自分が何をやっているのかわかっていなかった。ただその場その場の判断で動いただけだ。」
→ まとめ(仮) (準備中)
*-*-*-*-*-*-*-*- *-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-
看護日記(4) 『 最後の1週間、そのあと3日 』
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6月22日(金)
朝方、カリカリを食べる音が聞こえた。
起きて見てみると、ロイヤルカナンのキトンのほうが減っている。
モンプチかつおだけでなく、ロイヤルカナンを食べてくれたのが嬉しかった。
通院。
今日は寝坊した上に、先客あり。
さらにレントゲンを撮るので遅刻するかと思ったが、
先生がスピーディーにしてくれたおかげで時間的には余裕だった。
レントゲンの結果、水曜にレントゲン撮った時より胸水が増えているので、
点滴は中止することに。
自分ですこしは飲食できるなら、点滴までして胸水を増やすことはない。
昨日噛まれた右手、痛みは少なくなったが、腫れと熱と赤みがひどくなっている。
昨夜は手首の血管にほんの少しかかるくらいの広がりだったが、
今日はもうすこし手首を進んで、赤みと腫れがのぼってきている。
だいじょぶかな。
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6月23日(土)
休みの日なので少しゆっくりめの通院。
レントゲンを撮る。
胸水は少し増えているが、まだ抜くほどではない。
明日は日曜日、本来なら休診日だが、先生はヒーローの治療に対応してくれると言う。
17~18時ごろに通院することになった。
ヒーローは今日はなんだか少し元気がない気がした。
食欲は昨日より弱い。
パウチにまたたびの粉を少量ふりかけると、少し口にしてくれた。
夜寝るとき、いつもならふとんでいっしょに寝るのに、
今日は自分のベッドにずっといた。
噛まれた右手は、今日はもう治りかけている。
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6月24日(日)
朝方、ヒーローの動く音で目が覚める。
トイレに向かっていき、しばらくして帰ってくる。
おむつをチェックしてみると、おしっこ&うんちも。
やっと出た。

今日はシェルターの日なのに、疲れていて寝坊した。
慌てて向かう。
ヒーローの部屋に、成猫が移動していた。
もうほんとに帰る場所がないんだな。
帰宅。
体がだるく、眠気がすごい。いつの間にか寝ていた。
17時半、病院にこれから行くと電話すると、18時から急用が入ったので、
できるだけ早く来てくださいと言う。
バタバタと行くと、こちら都合ですいませんと、申し訳なさそうに先生。
ヒーロー、今日も少し元気弱い気がする。
食欲もない。
帰りにお気に入りの自然食品店の閉店セールに寄る。
目当てのせっけんハミガキは売り切れ。
新店舗の商品取り扱いについて質問しても、あやふやな返事。
モヤモヤして帰る。

この日、ささいなことから旦那さんと大変なケンカになってしまった。
ふとんに入るとすぐに意識を失い、やっと長い1日を終えることができた。
最低な日だった。
---------------------------------------------------------
6月25日(月)
疲れがピークで、昨日のケンカもあり、朝なかなか起きられなかった。
体が重く、頭がぐらぐらする。
病院。
レントゲンを撮ると、土曜に撮ったときと、ほぼ変わりない量の胸水だった。
まだ抜かなくていい。
食欲ないのが気になる。
同じ病院に入院中の、ある子猫が亡くなった。
お別れをするために会わせてもらった。
ダンボールに入った子猫を見て、悲しくなった。
ヒーローの通院の時に、ほぼ毎日顔を見ていたのに、
触ったり抱いたりしてやれなかった。
入院の金属ケージの中でひとりぼっち、すごくさみしかっただろう。
小さな体で一人がんばっていた子猫、
亡くなるとわかっていたら、ケージから出して抱いて撫でてやればよかった。
今となってはもうできない。
そのことが悔やまれる。
あらためて、治療とあきらめの判断や、猫にとっての幸せを考えさせられた。
ヒーローが亡くなる時は、
どうしてやればいいだろうか。
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6月26日(火)
ヒーローのうんちあり。
今日でインターフェロン終了。
明日、血液検査してみることに。
良くなっていればいいが、黄疸がなくなっている様子はない。
やっぱり治癒は難しいのか。
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6月27日(水)
朝、ヒーローは昨日までより元気がないようだった。
ふとんの上でごろんとなって、あまり動きたくなさそう。
病院で待っている間、ヒーローの右目の上の血管が赤くなっているのに気付いた。
頭の上にかけて赤く充血した皮膚がつづく。
首のうしろの毛をかけわけてみると、そのあたりまで、血管にそって赤くなっているようだ。
これはなんだろう?
背中の皮膚は毎日注射をしているせいで真っ赤っかだが、その場所とは離れている。
インターフェロンの効果をしらべる血液検査。
足に針を指すが、なかなか血が出てこない。
ヒーローはぐったりしている。
結果は、残念なものだった。
黄疸を表す数値がひどくなっている。
赤血球も白血球も極度に少ない。
もう自力で血液をつくれていないらしい。
他の数値も軒並み悪い。
今生きているのが不思議なくらいの数値らしい。
【6/27 血液検査の結果】
項目 | 今回数値 | 正常範囲 | 増加なら・・・ | 減少なら・・・ |
---|---|---|---|---|
GLU | 118 | 41~153 | 糖尿病・ストレス・クッシング症 | 肝不全・新生児低血糖・過剰な運動・飢餓・インスリノーマ |
BUN | 29 | 12~41 | 腎機能低下・消化管内出血・高たんぱく食・尿路閉塞 | 肝不全・肝硬変・多飲多尿 |
Cre | 1.1 | 0.7~2.5 | 慢性腎不全・筋炎・溶血 | 筋肉減少・妊娠 |
T-bil | 7.5 | <0.4 | 溶血・肝細胞壊死・胆汁鬱滞・胆管炎・肝炎・門派シャント | |
T-chol | 220 | <224 | 食事性・クッシング症・糖尿病・甲状腺機能低下症・胆汁鬱滞 | 肝不全 |
GOT | 61 | <45 | 肝不全・筋炎 | 肝硬変 |
GPT | 15 | <86 | 肝不全・膵炎・創傷・腫瘍 | 肝硬変 |
ALP | <130 | 40~234 | 胆管炎・腫瘍・内分泌疾患・ステロイド投与・ストレス | |
TP | 6.0 | 6.0~9.7 | 脱水・高脂血症・腫瘍 | 消化吸収障害・肝不全・腎不全・飢餓・出血・過剰輸液 |
WBC | 18 | 55~195 | 細菌感染・炎症・腫瘍・白血病・ストレス・ステロイド投与 | ウイルス性疾患・急性細菌感染・中毒 |
RBC | 289 | 550~1000 | 脱水・多血症 | 貧血・中毒 |
HGB | 4.5 | 8~14 | 脱水・多血症 | 貧血・中毒 |
Ht | 12.2 | 24~45 | 脱水・多血症 | 貧血・中毒 |
インターフェロン、ステロイド、ともに中止。
明日からは、治癒目的ではなく、できるだけヒーローが楽になれるよう
ビタミン入り点滴のみの投与をすることに。
今月中もつかどうか、と言われた。
今月って、あと3日だ。
ショックだった。
帰りの車の中で涙が流れる。
ボラ仲間さんに報告、一斉送信のお願い。
土曜日までヒーローががんばってくれたら、みんなに会いにシェルターに連れて行こう。
仕事中、置いてきたヒーローがどうなっているかと気になり、そわそわしていた。
定時になると急いで帰宅。
ヒーロー無事。
キャリーに閉じこもっていた。
トイレの手前のシートにおしっこがあるので、
朝からずっと閉じこもりきりというわけではなさそうだ。

今日からは、少しでも長くいっしょにいてあげようと思う。
自宅の猫3匹には、かまってやれなくて申し訳ないと思う。
ごはんをあげて、すぐに2Fヒロ部屋に上がった。
今だけ、ごめんね。
ヒロ部屋でいっしょにごはんを食べる。
といってもヒーローは一切口をつけない。
私が食べているのを見たら、ヒーローもつられるかなと思ったが、
そうはいかなかった。
お風呂をすませて、すぐにヒロ部屋にもどる。
今度はケージではなくねこハウスに入っていた。
やはり閉じこもりたいのか。

寝るとき、そばに寄ってきた。
こんなにきれいな猫が、もうすぐ死んでしまうなんて。
いっしょに寝そべって、しんみりしていた。


そしたら少し驚くことが起こった。
私がうつぶせで、左腕でヒーローを抱きかかえるように腕を回していたときのこと。
ヒーローが突然、左手で、私の回している左手をがしっと掴み、自分のほうへ引き寄せた。
そしてその上に、アゴをのせ・・・満足げに目を閉じた。

私は思わず笑ってしまった。
なにそれー。
最初は子供を見るように、かわいく思った。
でも逆になんだか、変な話だが、「男気」のようなものも感じた。
「泣くなって、オレはまだ死んでねーよ」
そう言っているような気もした。
それくらい、がっしり力強く、掴んで引き寄せられたのだ。
辛いのはヒーローのほうなのに、その病気の猫に励まされ、
守られているような不思議な感覚があった。

そのあとも写真を撮ったり話しかけたりするが、私もいろいろ重なり、疲れて眠い。
いつの間にか気を失っていた。
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6月28日(木)
朝方、何度か目が覚めた。
ヒーローは、私のそばにはいず、見るたびに位置が変わっている。
最終的には、足元に置いていた、たたんだ毛布の上に陣取っていた。
病院で、点滴。
ヒーローは昨日よりもさらに悪くなっているように見えた。
針を指すときも、あまり抵抗しない。
でも点滴の最中には、何度か嫌がって動いた。
今日からは車で通勤する。
昼休みに様子を見に帰らないと、いつどうなるかわからないし、
日中ずっと一人ぼっちで、さみしい思いをさせたくない。
昼休み、自宅に帰る。
ヒーローは息が苦しそうに見えた。
昼ごはんをヒーローの部屋で急いで食べる。
1時間の昼休みでは、いっしょにいる時間はほとんどない。
こんなときに限って仕事が多く休めない、タイミングの悪さを呪った。
そして自分が情けなくなった。
夜21時ごろに帰宅。
ヒーローの様子がおかしい。
昼よりさらに息が苦しそうだった。
息をするたびに鼻からフー、グウー、という音が鳴り続け、口が開いていた。
水色のベッドに寝かせてやり様子を見る。

やはり早急に胸水を抜くべきかもしれないと思い、病院に留守電を入れる。
30分たっても折り返しがない。もしやと思いもう1度電話をかけて確かめる。
やはり最後の#を押していなかった。なにをしているんだか。
あらためて留守電を入れると10分後に折り返し。
先生的には、血液検査の結果がひどかったので、苦しいのは胸水とは限らないという。
抜いても良くならない可能性もあり、また抜くことで痛みとストレスにより
その場で亡くなる可能性も否定できないという。
ボラ仲間さんに電話で相談。
話しているうちに、自分がすでに病院に行く気になっていることに気付く。
そのほうが、より後悔が少ない気がした。
ベッドでぐったりしているヒーローをそのまま抱きかかえ、助手席に乗せた。
22時20分ごろ病院に到着。
抜くことでどうなるかわからない、という事を念押しされ、
覚悟を決めて処置を開始する。
エコーで見て毛をそり、針を刺して抜き始める。
ヒーローは苦しそうにしていて抵抗はない。
血のような真っ赤な液体が出てきてびっくりする。
まさか血を抜いているんじゃないだろうかと一瞬そわそわして先生を見る。
黄疸が進むと胸水も色が濃くなり、最終的にはそういう色になるのだとか。
真っ赤な液体を100mlほど抜いた。
直後、ヒーローはすこし呼吸が楽になったように見えたが、
以前抜いたときと比べて、劇的な変化はなく、まだ少し苦しそうだった。
少しはマシになったのだろうと安心して、先生に時間外のお詫びとお礼を言って病院をあとにする。
病院から出るときもヒーローはベッドに寝たまま、鳴き続けている。
元気になった証拠かな、それともまだ苦しいのかな、と考えながら助手席に乗せる。
そして車を走らせてまもなく、それが起こった。
大きな交差点を左に曲がり、ひとつめの坂を越えたあたりで、
突然ヒーローが大きな声で叫んだ。
びっくりしてヒーローを見ると、何かを訴えるようにこちらを見て、
鳴きながら体をよじらせている。
あわてて車を路肩に寄せ、止まる。
ヒーロー!ヒーロー!と名前を呼んで助手席に置いたまま抱くようにかがみこむ。
間もなく、終わりが始まったと私は気付いた。
最期はもっと暗くて静かな場所で、しっかり抱いてやって看取りたい。
そう思ってまた車を走らせた。
さっきより少し落ち着いている。
急げ、急げ。家まで間にあうかもしれない。
そう祈りながら、スピードをあげる。
右折して川沿いの道に入ったころから、またヒーローの様子が変わった。
苦しそうにもがいたり鳴いていたのはおさまっていたが、
今度はやけに静かになり、目がうつろになって遠くを見ていた。
鼻の奥で破裂音のような、詰まっているものが通って突き抜けるような小さな音が
パツンッ!パツンッ!と断続的に鳴った。
体が停止しようとしている。
もうだめか。
また車を止めた。
どうしていいかわからず名前を呼び続けた。
また走り出した。
左手はヒーローの体に置いていた。
家に向かって走っている最中に、ヒーローは完全に静かになった。
自分が何をやっているのかわかっていなかった。
ただその場その場の判断で動いただけだ。
結果的にヒーローの最期を、抱いて看取ってやることはできなかった。
泣きながら走った。
家に着き、ベッドごと抱きかかえて玄関の前に立つ。
よっちゃんが出そうなので、いったんヒーローを玄関外の床に置いて家に入らなければならなかった。
亡くなったばかりの遺体を1分でも外に放置することは忍びなかった。
猫たちをリビングに入れて扉を閉めてから、ヒーローを迎えに出て、そのまま2Fに上がった。
明るい部屋でヒーローをしっかり見ると、本当に事切れている。
きれいに目を開けて、切なそうにこちらを見続けていた。
もう遅いが、抱き上げて体に寄せ、しっかり抱きしめてやる。
まだ温かいのに、だらんとした重みが、私の胸に突き刺さる。
やっと死を実感し、泣いた。
2回目に車を止めた時、そのまま抱いて看取ってやればよかった。
自分の判断力のなさ、経験のなさが、ふがいなかくて、心の中で詫びた。
ベッドに寝かせ、姿勢をととのえてやる。
息を引き取った時と同じように、左を下にして寝かせる。
腕は自然とクロスして、手首は重力に従いゆるかやに曲がってかわいいポーズになった。
開いたままの目がきれいだったので、しばらくぼーっと眺めていた。
時計を見ると、23時30分ごろだった。
ボラ仲間さんに電話。
先生の言われたとおりになった、処置をしたことで体への負担がかかり急逝したのだろうと報告した。
でも精一杯やったのだから、ヒーローも感謝していると、涙声で、なぐさめてくれた。
別のボラ仲間さんに一斉送信のお願いメールを送った。
時間をかけて目を閉じてやる。
その間に少しずつ体は硬くなっていった。
まだ柔らかいにくきゅうを触ったり、生前のように、麻痺した右足をさすってみたりしているうちに、
気持ちが落ち着き、いったん部屋を出た。
旦那さん帰宅、報告。
いっしょに2Fにあがり、ヒーローに会う。
さっきより硬直が進んでいた。
私はまだぼーっとしていたが、保冷しないといけないと旦那さんが言ってくれ、気づいて保冷を始める。
部屋を片付けるなら手伝おうかと言ってくれるが、まだいいと断る。
保冷剤と氷をベッドの中に置き、ナイロン袋でベッドごと覆う。
ヒーローの顔は半透明のナイロンに遮られて、もやがかかったようにぼんやりと見えた。
寝室に移動し、冷房をつけた。
その日はヒーローと寝る最後の日となった。
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6月29日(金)
朝、シェルターにヒーローを安置しに行き、
そのまま車で仕事へ。
やはり気持ちは沈んでいた。
仕事中何回か、ふとした時に涙が出そうになり、トイレに行って泣いた。
ヒーローの送り方は、火葬に決めた。
自分で葬儀場に予約を入れ、一斉送信してもらう。
夜22時ごろ、シェルターに様子を見に行く。
ヒーローと2人の時間を過ごそうと、夜食とノンアルコールビールを買っていった。
ヒーローはたくさんの花に囲まれていた。
みんなお別れにきてくれたようだ。
私が着いて間もなくして、ボラ仲間さんも仕事終わりで来てくれた。
会社の花壇からもらったというお花を持ってきてくれた。
ノンアルコールビールはそのボラ仲間さんと2人で、ヒーローのお通夜のように分かちあうことになった。
亡くなったときの話や、埋葬の事などを話して飲んだ。
それからシェルターをひととおり見回ってから帰った。
今日、私は、いたって冷静だった。
たまに涙がにじんだりはするが、特に気持ちが大きく乱れるということもなかった。
きっと看病してきたから、覚悟ができていたんだろう。
それにヒーローは、麻痺して思うように動かなかった体、病気で苦しかった体から
やっと解放されたんだ。
虹の橋。
その話が強く影響していると思う。
私は知らず知らずのうちに、魂と体を切り離して考えるようになっていた。
だから火葬も受け入れることにしたんだ。

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6月30日(土)
朝、シェルターにヒーローを迎えに行く。
ボラ仲間さんが、送る用の箱を手作りして持ってきてくれていた。
2人で箱に花を入れ、ヒーローを飾ってあげた。
葬儀場までボラ仲間さんのあとをついていくことにした。
いつものように、ヒーローを助手席に乗せて出発する。
車に乗せるとうるさいほど鳴いていた、もうあの鳴き声は聞こえない。
葬儀場に行く道中、ずっと片手で運転していた。
本当に最後だから、ずっと触っていたかった。
亡くなった夜、抱いてやれなかったし、ずっと触り続けてやれなかったから、
今日くらいはずっとずっと手を触れていたかった。
ヒーローはもう冷たいけれど、まだフサフサだった。
さすがに悲しかった。
本当に滝のように涙が流れて滴った。
葬儀場に着くまでずっと、止むことのない涙を静かに流し続けた。
もうすぐ、このフサフサの毛を触ったり、匂いをかいだり、足をマッサージしたり、
できなくなるんだ。
到着すると、ボラ仲間さんが3人も来てくれていた。
みんな私にねぎらいの言葉をかけてくれた。
一人は自宅から摘んできてくれたという花を、ヒーローの顔のそばに入れてくれた。
もう1人あとから到着して、いっしょに行った人も私も入れて6人で送ることになった。
簡単な葬儀のようなものがあり、順番に線香をあげる。
葉っぱで水をすくい、口元をしめらせてあげる儀式も。
ごはんを持たせてやる事を知らなかったので、葬儀場に用意してもらう。
ヒーローが好きだったかつおぶしと、モンプチをお弁当に持たせてあげた。
そのあと火葬へ。
最後のお別れをして、みんなで合掌して見送る。
扉が閉まる瞬間は、やはり見ることができなかった。
およそ40分で終わり、収骨に向かう。
骨は思っていたより粉々になっていた。
そして、骨を見てもそれほどつらくはなかった。
病気治療などで薬品が残っている場所は青く残ると言う。
ヒーローは背中のあたりが水色になっていた。
毎日、背中に注射をがんばっていたもんね。
みんなで骨を拾って骨壷に入れていく。
最後に残った小さな骨のかけらまで、ハケでさらって入れる。
その途中に歯を見つけた。それは壺には入れず、もらって帰ることにした。
帰りはボラ仲間さんといっしょだったおかげで、落ち込まずにすんだ。
でも送り届けたあと、一人で運転を再開するとやっぱりつらかった。
骨壷を見ると、かなりこたえた。
2日前までは動いていたヒーローが、急に動かなくなった。
さっきまでフサフサだったヒーローが、今はこんな小さな姿になってしまった。
持つとカチャカチャと乾いた音を立てる陶器に、ヒーローの姿を重ねることはできなかった。
ヒーローはどこへ行ってしまったんだろう。
家に着いてリビングのテーブルにヒーローを置くと、どっと感情が押し寄せてきた。
骨壷を抱いて、わんわん泣いた。
そのあと気を取り直して、水をあげ、
ヒーローの写真を印刷して、骨壷にセットしたり、写真立てに入れたりした。
写真の選定と加工にはずいぶん時間をかけた。
陶器の音が嫌なので、蓋にクッションをはさんだ。
2Fの元いた部屋に、ヒーローの場所をセッティングした。
1週間前に買ったばかりのキャスターワゴン。
そこに缶詰や、シーツやおむつなどをまとめて入れていた。
それは、ヒーローを看護するという私の意気込みそのものだった。
今は無用となったその木製天板の上に、骨壷と写真と、お水とごはん、線香をならべた。
それを少しひいて見てみると、本当に、もの悲しい。
亡くなってからずっと、その部屋に入るたびに、
部屋のどこかにヒーローの姿を探している自分に気づいて、泣いた。
今日はその思いがピークになり、寝る前にもう一度部屋に入ったときには、
目の前の骨壷や写真を見ても、
なぜヒーローがいないのか、わからなくて、ひどく泣いた。
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7月1日(日)
亡くなった28日から、この看護日記の続きを書けずにいた。
今日になって、やっとまとめて書いている。
昨日よりはいくぶんか気分はマシになった。
ヒーローがいた部屋のそうじをして、気持ちをすっきりさせた。
それでも、ふとんを片付けるついでに寝転んだとき、
その感触とふとんの匂いにヒーローの面影がよみがえり、
一気にこみ上げてきて、泣いた。
1ヵ月、毎日ここでいっしょに寝た。
他の猫と違って、ヒーローは神経質なところがなかった。
足が麻痺しているせいもあるけど、機敏な動きでどこかに逃げてしまうようなことがなく、
引き寄せると素直に身をまかせてくれるのが嬉しかった。
ベッドではなく簡易的な敷布団なので、腰を痛めながらも毎日いっしょに寝た。
おむつの間からおしっこが洩れて、よくふとんを手洗いした。
闘病生活の最初のほうは、シリンジで薬やミルクを無理やり与えていた。
それがヒーローにはしんどくて、私にとっても苦痛だった。
後半はそれがなくなり、やっと落ち着いた看護生活を送れるようになっていたのに・・・。
初めて会った12月25日から、きっと、ずっとヒーローは私のことが好きだった。
私は愛護センターの収容写真を見た時からずっと、会う前から、好きだった。
それなのに、いろんな活動が忙しくなってきた3月ごろからは、
最初のころに比べてヒーローのためにとれる時間が減っていた。
シェルターに行くたびに軽いマッサージと、トイレの入念な掃除は続けていたが、
ヒーローにかける思いは徐々に薄れていっていた。
白血病とは言っても、ストレスのない生活を続けていれば寿命を全うできる病気だし、
虫下しとアゴの針金を抜くのが落ち着いた後は、ほったらかしていたと思う。
5月には子猫を預かって、ますます忙しくなった。
子猫が病気にかかり、看護に必死だった。
ちゃんと触れ合っていなかった数週間のあと、まともにヒーローを見たとき
すごく太っていてショックだったこともあった。
自分がちゃんとヒーローを見ていなかったせいだと気付き、ほったらかしたことを忍びなく思った。
そうこうしているうちに、ヒーローはFIPになっていた。
6月1日にはもう胸水がパンパンにたまっていたんだ。
その前の週に、ちゃんと見れていたら、異変に気づくことができたはずだ。
前の週といえば・・・子猫の一匹が完治し、里親が決まり、
よっちゃんをうちで引き取ると決めた週だ。
そうだ、私は子猫に夢中だったんだ。
早く気づいていれば、もしかしたら助かったかもしれないのに。
そもそもは、私がヒーローに目を向けていない時期にFIPになったんだ。
私にちゃんとかまってもらえなくて、寂しかっただろう。
そのストレスで発病したのかもしれない。
あとは・・・
24日の喧嘩は、2Fにいたヒーローも怖かっただろう。
それでストレスで一気に容体が悪くなっとのでは、ということも思ってしまう。
看護生活を精一杯やったという思いと、できていなかったかもという思い、
それから自分がちゃんとしていたらFIP自体なってなかったかもしれないという思いが、
混ざり合って複雑な感情になる。
私はまだ、ヒーローがいなくなったということを受け入れていない。
だから、ごめんね、も
ありがとう、も、まだ言えない。
ヒーローの写真を前にしても、名前を呼ぶことしかできない。
* * *
(看護日記おわり)
→ まとめ(仮) (準備中)
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